企業情報 沿革
主な出来事
時代のニーズに即応した改革改善を改革・改善を積極的に取り入れ、成長してまいりました。
1800年代
1908年 宮地鐵工所創業
1800年代 |
1868年 慶応 4年 日本初の鋼鉄製橋梁「くろがね橋」建設 日本初のくろがね橋を官営長崎製鉄所が施工 |
1883年 明治 16年 |
1884年 明治 17年 |
1908年 明治 41年 【宮地鐵工所創業】 |
【宮地鐵工所創業】 |
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・官営長崎製鉄所設立 |
・工部省長崎造船局に名称変更 |
・郵船汽船三菱会社に併合 |
1910~30年代
1919年 橋梁架設工事を開始
1910年代 |
1919年 大正 8年 |
1920年代 1923年 大正12年 関東大震災 |
1924年 大正13年 |
1928年 昭和3年 |
1930年代 1931年 昭和6年 |
1934年 昭和9年 |
1937年 昭和12年 |
1938年 昭和13年 |
・東京府南葛飾郡大島町に大島工場を新設し、翌年より橋梁架設工事を開始 |
・南二葉町事務所・大島工場全焼、関東大震災を機に合資会社宮地鐵工所に改組、資本金5万円 |
・南二葉町事務所・大島工場復旧、震災復旧に伴う鉄道橋架設大量受注 |
・大島工場拡張 |
・本社並びに工場を城東区南砂町に新設、南二葉町事務所・大島工場閉鎖 |
・京城出張所開設 |
・株式会社に改組、資本金50万円 |
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・三菱重工業株式会社に商号変更 |
1940~50年代
1945年 松本工場(波田工場)開設
1949年 宮地建設工業分離独立
1940年代 |
1942年 昭和17年 |
1945年 昭和20年 【松本工場(波田工場)開設】 ・東京大空襲 |
1946年 昭和21年 |
1949年 昭和24年 |
1950年代 1950年 昭和25年 |
1952年 昭和27年 |
1954年 昭和29年 |
1955年 昭和30年 |
1958年 昭和33年 |
1959年 昭和34年 |
・海軍管理工場指定受ける、東京造船KKの創立参画 |
【松本工場(波田工場)開設】 |
・波田工場操業開始、東京労組結成 |
・建設業法制定により建設大臣登録 |
・砂町第二工場(仮組立)稼動開始 |
・技能者養成所開設 |
・本社家屋完成(砂町) |
・創業50周年 |
・福岡営業所開設 |
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【宮地建設工業分離独立】 ・建設業法制定により建設大臣登録 |
・本社を東京都文京区に移転 |
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・財閥解体により西日本重工業株式会社、中日本重工業株式会社、東日本重工業株式会社の3社に分割。 |
・3重工がそれぞれ三菱造船株式会社、新三菱重工業株式会社、三菱日本重工業株式会社に商号変更 |
1960年代
1963年 砂町第一・第二・第三工場完成
1960年代 |
1961年 昭和36年 |
1962年 昭和37年 |
1963年 昭和38年 |
1964年 昭和39年 東海道新幹線東京-新大阪間開通 |
1964年 昭和41年 |
1969年 昭和44年 |
・波田工場を松本工場に改称 |
・株式を東京証券取引所市場第一部に上場 |
【砂町第一・第二・第三工場完成】 ・大宮倉庫開設 |
・増資(10億円) |
・国鉄「品質管理方式」の指定工場、新総合事務所・松本西工場完成 |
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・増資(3,000万円) |
・栗橋倉庫開設(現 栗橋機材センター) |
・株式を東京証券取引所市場第二部に上場 |
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・3重工合併により三菱重工業株式会社に商号変更 |
1970年代
1972年
福山工場用地取得 / 岸壁工事着手
1975年
再建合理化による人員大幅削減実施
1970年代 |
1970年 昭和45年 |
1971年 昭和46年 |
1972年 昭和47年 【福山工場用地取得 / 岸壁工事実施】 ・第一次オイルショック ・MMBの前身である三菱重工工事が三菱重工業の100子会社として設立 |
1974年 昭和49年 |
1975年 昭和50年 【再建合理化による人員大幅削減実施】 |
1976年 昭和51年 |
1977年 昭和52年 |
1978年 昭和53年 |
・電算機(バーローズ B-2500)導入(S46)決定 |
・新技術棟(6F建)完成 |
・日本鋼管と業務提携 ・技能訓練所閉鎖 |
・市川工場(仮組立・塗装専用工場)開設(昭和57年11月閉鎖) |
【再建合理化による人員大幅削減】 |
・第三工場閉鎖,市川工場設備等増設、福山工場地,広島県に返却 |
・仙台営業所開設 |
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・グアム火力発電所建設プロジェクト編成 |
・建設業法による特定建設業の許可 |
・本社売却 |
・本社を東京都江東区に移転 |
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・三菱重工業株式会社の100%子会社として三菱重工工事株式会社設立 |
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1980年代
1983年 大型臨海工場(千葉工場)開設
1984年 六郷大橋事故
1980年代 |
1980年 昭和55年 第二次オイルショック |
1981年 昭和56年 |
1983年 昭和58年 【大型臨海工場(千葉工場)開設】 |
1984年 昭和59年 【六郷大橋事故】 |
1985年 昭和60年 |
1986年 昭和61年 |
1987年 昭和62年 ブラックマンデー |
1988年 昭和63年 |
1989年 平成1年 |
・誠備グループによる株式買占め(株価最高値2,950円) ・臨時株主総会で桜井会長、坂専務就任 |
・増資(30億円) |
・本社を東京都中央区に移転 |
・松本工場鉄骨生産S類認定 |
・松本配転(第二次24名) |
・創業80周年 |
・翔寿会設立 |
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・本社を東京都豊島区に移転 |
・株式会社成和建設の株式を取得(1991年1月エム・ケイ・エンジ株式会社と改称・現 非連結子会社) |
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1990年代
1993年 大型部材製作工場完成
1990年代 |
1990年 平成2年 |
1991年 平成3年 ・広島新交通システム橋桁落下事故 |
1992年 平成4年 |
1993年 平成5年 |
1994年 平成6年 |
1995年 平成7年 |
1996年 平成8年 |
1997年 平成9年 |
1998年 平成10年 |
1999年 平成11年 |
・蓼科保養所改築「蓼科山荘」 ・千葉県市原市に株式会社ひまわりを設立(1993年6月宮地技工株式会社と改称) |
・第2回ワラント債発行 |
・株式会社宮地スチールテック設立、株式会社ひまわりを株式会社宮地技工に改称 ・遠山社長「日本橋梁建設協会」会長就任 |
・第3回ワラント債発行 |
・株式会社宮地鐵工所と宮地建設工業株式会社の共同出資により株式会社宮地総合メンテナンスを東京都千代田区に設立 ・第4回ワラント債発行 |
・松本工場50周年 ・宮地労組50周年 |
千葉/ISO9001品質保証システム認証取得 |
・千葉県市原市に株式会社エム・アイ・シーを設立(2015年7月宮地技工株式会社・現 株式会社エム・ジー・コーポレーションと合併し消滅) ・千葉県市原市に株式会社宮地エンジニアリング設立 |
・工事部一元化 |
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・九州事業所開設(現 福岡営業所) |
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・横浜支社/広島支社 |
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2000年代
2003年 宮地エンジニアリンググループ設立
2007年 本社ビル売却
2000年代 |
2000年 平成12年 |
2001年 平成13年 第1次小泉内閣公共事業費削減 |
2002年 平成14年 |
2003年 平成15年 【宮地エンジニアリンググループ設立】 |
2004年 平成16年 |
2005年 平成17年 ・「品確法」施行 ・三菱重工工事が三菱重工橋梁エンジニアリングに商号変更し、三菱重工業より橋梁 / 沿岸構造物事業を吸収分割により事業継承 |
2006年 平成18年 |
2007年 平成19年 【本社ビル売却】 |
2008年 平成20年 2008.9 リーマンショック |
2009年 平成21年 ・民主統政権 ・公共工事抑制政策「コンクリートから人へ」 |
【宮地エンジニアリンググループ株式会社設立】 ・業界初の持株会社 東証一部上場 ・急激な公共投資額縮減への対応として株式会社宮地鐵工所と宮地建設工業株式会社を経営統合 |
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・東京都中央区大伝馬町に本社社屋購入/移転 |
・大宮機材倉庫閉鎖 |
・株式会社宮地総合メンテナンスを宮地建設工業株式会社に譲渡 ・株式会社宮地鐵工所松本事業所設立 |
・駒井鉄工株式会社と技術提携契約締結 |
・公取委・告発 |
・希望退職66名 |
・投資有価証券売却(3銘柄 売却額 1,285百万円) |
・創業100周年 ・100%出資子会社である熊谷建設興業株式会社を解散 |
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・株式会社宮地総合メンテナンスの株式を買い増し、完全子会社化 ・株式会社宮地総合メンテナンスを吸収合併 ・本社を東京都中央区に移転 |
・希望退職38名 |
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・全社統合で |
・三菱重工橋梁エンジニアリング株式会社としてISO9001品質保証システム認証更新 |
・三菱重工鉄構エンジニアリング株式会社に商号変更 |
・千葉県富津市に千葉工場設立、暫定稼働開始 |
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・橋梁/沿岸構造物事業を三菱重工橋梁エンジニアリング株式会社に吸収分割により譲渡 |
2010年代
2010年 松本工場閉鎖
2011年 宮地鐵工所と宮地建設工業が合併して宮地エンジニアリングに社名変更
2015年 エム・エム ブリッジをグループ傘下に追加
2010年代 |
2010年 平成22年 【松本工場閉鎖】 |
2011年 平成23年 【宮地鐵工所と宮地建設工業が合併して宮地エンジニアリングに社名変更】 |
2012年 平成24年 東京スカイツリー完成 |
2013年 平成25年 |
2014年 平成26年 |
2015年 平成27年 【エム・エム ブリッジ株式会社をグループ傘下に追加】 |
2016年 平成28年 |
2017年 平成29年 |
2018年 平成30年 |
2019年 令和1年 |
・宮地技工株式会社(現株式会社エム・ジー・コーポレーション 非連結子会社)の株式を取得し完全子会社化 |
【エム・エム ブリッジをグループ傘下に追加】 ・社外取締役制度導入 |
・株式併合(10株を1株に併合) |
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【松本工場閉鎖】 ・100%出資子会社株式会社宮地鐵工所松本事業所、株式会社アルプス技工を解散 |
・宮地技工株式会社の株式を宮地エンジニアリンググループ株式会社へすべて譲渡 ・希望退職41名 【宮地鐵工所と宮地建設工業が合併して宮地エンジニアリングに社名変更】 |
・松本発電所稼働2010年に閉鎖した松本工場跡地の有効活用並びに環境経営の視点から太陽光発電事業に参入 |
・宮地エンジニアリング松本発電所を長野県松本市に新設し、発電を開始 |
・宮地建設株式会社を吸収合併 |
・令和元年房総半島台風により千葉工場建物等が一部損傷 |
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・エム・ケイ・ワークス株式会社を埼玉県北葛飾郡栗橋町に設立(現 非連結子会社) |
株式会社宮地鐵工所を吸収合併し、商号を宮地エンジニアリング株式会社に変更(現 連結子会社) |
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・千葉工場本格稼働開始 |
・MBE機材㈱を吸収合併 |
・広島工場閉鎖 |
・エム・エムブリッジ株式会社に商号変更 ・広島本社移転(三菱重工株式会社 広島製作所 江波工場からリョーコーセンタービル) |
・市原工場開所 ・富山事業所開所 |
・長崎事業所開所 |
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・三菱重工機構エンジニアリング株式会社の株式の51%を宮地エンジニアリンググループ株式会社に譲渡 |
2020年代
2020年代 |
2020年 令和2年 |
2021年 令和3年 |
2022年 令和4年 東証一部からプライム市場に移行 |
2023年 令和5年 |
2024年 令和6年 |
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・監査等委員会設置会社へ移行 |
・東証一部からプライム市場に移行 |
・株式分割(1株を2株に分割) ・統合報告書の発刊開始 ・英文開示の開始 ・資本コストや株価を意識した資本政策の見直し |
・株式分割(1株を2株に分割) |
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・千葉工場改革プロジェクト |
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・関西事業所を西日本支店に改称 |
・那須機材センターを三菱重工機械システム株式会社から移管受け |
【宮地鐵工所創業】
宮地栄治郎個人経営で東京市本所区南二葉町にて創業。ボルト、鉄扉等の製作及び建築鉄骨組立工事請負を開始
【松本工場(波田工場)開設】
東京大空襲により工場が全焼、海軍艦政本部要請により長野県波田村に一部工場を移転し波田工場(松本工場)を開設
(2014年12月完全操業停止)
【宮地建設工業分離独立】
株式会社宮地鐵工所の土木部門が分離独立して、東京都中央区に宮地建設工業(株)を設立
【砂町第一・第二・第三工場完成】
砂町第一・第二工場完成
第二工場拡張 / 砂町第三工場完成